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九州旅行5日目 島原 原城と日野江城
 小高い丘の上全体が原城跡でした。
あたりは緑に溢れて、ヒバリの声が賑やかです。
ここが島原の乱があった場所とは、言われなければ分からないほどです。
悲惨な戦いを思うと、気持ちが落ち込みましたが、この場所を訪れて
良かったと思いました。
(likebirds妻)





写真をクリックして拡大画像をご覧ください





青々と草生した城跡
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ちょこまかヒバリ
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咲き誇る斜面を登ると原城本丸付近が見えてきます
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敵味方関係なく骨を拾い霊を慰めたホネカミ地蔵
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海を見つめて立つ石像
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天草四朗の墓
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幕府方鳥取藩士佐分利九之丞父子の墓
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原城天守跡地の十字架  如何にもの写真でアレですが。。
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原城は元々この日野江城の支城だったそうです
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日野江城本丸跡地へ向かう通路
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城跡がひっそり
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 九州旅行5日目、早朝に土石流被災家屋保存公園から島原半島の南部にある原城を訪ねました。家族とともに
立て籠もった3万7千人が激戦の末に皆殺しにされたという場所に立ってみても神妙な気持ちにこそなれ、あま
り実感は湧いてきませんでした。幕府による原城の徹底的な破壊と380余年という年月の流れが現実感を薄めて
いるようでした。周辺は紅白の芝桜の花畑、風に揺れる麦畑、見下ろせば風光明媚な有明海でした。
 内戦としては西南戦争に匹敵する大規模で熾烈な反乱で、これがともに九州で起こったことに少しばかり因縁
を感じます。西南戦争は討幕の主力を担いながら、武士の身分を失い居所の無くなった士族たちと明治政府の戦
いと言えますが、島原の乱は農民・漁師・商人・キリシタンの帰農武士たちと反乱軍の構成が多様であることが
内容を複雑にしていると思います。
 島原の乱は南島原の農民一揆から端を発し規模を拡大しながら島原城を攻めますが、本丸攻略までには至りま
せんでした。数日遅れて、反乱は飛び火して天草地方でも一斉蜂起が起こります。こちらも富岡城をあと一歩の
ところまで攻め立てますがついに攻め落とすことはできませんでした。天草の蜂起の主力はキリシタン大名小西
行長や有馬晴信の旧家臣たちのようです。天草四郎も小西行長の家臣の息子という説が有力です。
 手詰まりの天草の反乱軍は島原へ渡り、島原の一揆軍と合流して既に廃城になっていた原城に籠城することに
なります。このときに誰もが家族全員で原城へ籠城したことが、島原の乱の悲惨な結末を数倍に拡大しました。
 反乱軍は籠城するだけでなく、日本各地に蜂起を促す檄文を送っていたそうです。これは追い詰められた農民
が窮鼠猫を嚙む反乱に出たというのではなく明確に政権転覆の方向で行動していたことを示していると思います。
 原城への籠城は敵城攻略に失敗した反乱軍が時間稼ぎのためだと思いました。全国各地での蜂起を期待してい
たのではないでしょうか。もうひとつはポルトガルの介入・支援を待っていたでしょう。実際、キリシタン戦国
大名の有馬晴信は沖田畷の戦いでイエズス会から食料・弾薬の支援を受けて数倍の敵に大勝利しています。この
ときもポルトガルの大砲が活躍した記録があります。有馬晴信は結局、代償として長崎の浦上をイエズス会に寄
進させられました。(当時のポルトガル・イエズス会の常套手段ですね) この記憶は当時鮮明だったはずです。
 天草四郎以下3万7千の人たちは来るはずのないポルトガルの救援を待ち続け、代わりにオランダ船から4百
発もの艦砲射撃を受けて大打撃を受けます。天草四郎も負傷したとのことです。
 幕府軍による兵糧攻めの後の総攻撃を受けて皆殺しにされる様子は凄惨そのものです。
 日野江城は元々から有馬氏の居城で、原城はその支城として造られたものだそうです。原城があまりにも有名
だったので逆に覚えていました。
 原城は世界遺産の一部ですが、日野江城は禁教時代とは関係がないとして世界遺産の登録からは外されたとの
ことです。島原の乱は小西行長や有馬晴信の戦国大名のローマカトリックの保護と強力な地元組織の育成なくし
ては語ることが出来ないと思いますが。。 その後の潜伏キリシタンも強固な地元組織あればこそです。
 有馬晴信の居城、日野江城が世界遺産から除外とは。有馬晴信は神社仏閣を破壊して、その石材を通る人が足
で踏む城の階段に使用させたそうです。それが外されるとは。400年経っても運のない人ですね。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-05-21 21:45 | 九州旅行 | Comments(4)
Commented by youshow882hh at 2019-05-22 00:06
こんばんは。ゆーしょーです。
原城跡は知らなかったです。
原城跡は、長崎県の島原半島南部の海に突き出た丘陵を
利用した城跡なのですね。
長崎には、キリシタンに関するところがたくさんありますね。
5枚目の海を見つめて立つ石像を見ていると、哀れを感じます。
Commented by milletti_naoko at 2019-05-22 17:10
映画『沈黙‐サイレンス‐』を思い起こしながら、拝読しました。宣教師も教を信じる農民たちも、信仰を貫こうと必死だった人が多いのではないかと考えていたのですが、政治的背景もあったのだと知って驚きました。オランダのキリスト教信者への攻撃へのここまで大きな加担にも驚いています。どうしてオランダだけが、ヨーロッパのキリスト教国でありながら、鎖国中も交易を許されていたのかと思ったら、こんな史実があったとは。花や緑、海が美しいですね。
Commented by likebirds at 2019-05-22 17:15
ゆーしょーさん。コメントありがとうございます。
曖昧ですが、原城は子供の頃のテレビ番組で知ったような気がします。
少年が伴天連の服装をして妖術を操っていたような話でした。
今回、原城跡を訪ねてみると観光客はゼロでした。聞こえるのはヒバリの
囀りと風の吹く音だけでした。
難攻の城だったという解説をどこかのサイトで読みましたが、素人の
自分にはわかりませんでした。
規模は日野江城よりも大きい印象を受けました。
海を見つめて立つ3像を見て、私も哀れを感じました。(likebirds夫)
Commented by likebirds at 2019-05-22 18:09
milletti_naokoさん。コメントありがとうございます。
『沈黙』。遠藤周作ですね。若い頃に本は読みましたが、映画は
見ていません。予告編ではちょっと怖そうな印象を受けました。
信仰を貫こうとした人たちは沢山居たと思います。大名有馬晴信は
豊臣秀吉の禁教・江戸幕府の禁教時にも断固としてキリスト教信者
を庇い続けました。詐欺事件に引っ掛かって切腹を申し付けられても
教義に反すると拒否しています。政治判断の求められる為政者でも
こんな具合ですから、一般人は尚更かもしれません。
信仰を貫くエピソードはむしろその後の潜伏キリシタン時代に多数
あります。書くかどうか決めていません。
オランダですか。。マルティン・ルター先生の「宗教改革」もある
とは思いますが、国家間の覇権争いの要素が大きいのではないでし
ょうか。(likebirds夫)
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