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九州旅行7日目 長崎 軍艦島
  軍艦島は、正式には端島(はしま)と言います。
長崎の南西の海上17.5キロに位置します。
ここでの石炭の発見は1810年と言われていますが、その頃は漁師が副業として細々と採掘していたそうです。
その後鍋嶋藩深堀領主の所有となり、その後三菱が所有することとなりました。
小さな瀬だった端島は1897年から1931年までに六回の埋め立てをして、三倍の大きさの島になりました。
それから1974年に閉山されるまで、良質な石炭が採掘され、島は鉄筋の小学校中学校、集合住宅、必要な施設も充実していたそうです。
上陸して見学できるのは南側のほんの一部だけでしたが、当時の規模の大きさを目の当たりにして、本当に圧倒されました。
(likebirds妻)


写真をクリックして拡大画像をご覧ください







長崎港ターミナル
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私達が乗り込むヤマサ海運「ペルージャ3」「マルベージャ3」
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世界遺産  100年以上現役で稼働を続ける巨大クレーン(写真右)
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建造中の自衛艦? 詳細不明です
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海辺の造船所と斜面を登る住宅街
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カトリック神の島教会と岬のマリア像
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前日に訪れたカトリック馬込教会を海から
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伊王島大橋を下から
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軍艦島 ドルフィン桟橋 
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貯炭ベルトコンベアーの支柱、奥に見えるのは学校
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高台の貯水槽、後に見えるのは閉山後に建てられた灯台
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赤レンガ造りの総合事務所跡、島の司令塔的存在で子どもは入れなかったそうです
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工場跡
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プール跡
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小さな祠のような端島神社
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西側の居住棟、波除の役目もあったそうです
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端島は軍艦「土佐」に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになったそうです
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軍艦島観光船内から
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 九州旅行7日目、午前中は軍艦島観光に出かけました。軍艦島の観光船は5社あって、
どれが良いのか良く分らず、船が大きくて揺れが少なそうな海運会社を選びました。
 日本の産業世界遺産「軍艦島」はあらゆる意味で日本の石炭産業の発展と衰退を縮図
のように体現している象徴的な存在だと思います。上陸してみると、そんな感想を吹
き飛ばすほどの圧倒的な存在感でした。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-05-30 15:39 | 九州旅行 | Comments(8)
Commented by youshow882hh at 2019-05-31 01:44
こんばんは。ゆーしょーです。
今回の旅で、軍艦島の観光もしてきたのですね。
遠くから見ると軍艦そっくりに見えますね。
最盛期の1960年には狭い島内に5267人もの人々が
暮らしていたそうで、東京の9倍という脅威の人口密度だったそうですね。
1960年といえば、私が新婚旅行に行った前年です。
その頃は、軍艦島など話題に上らなかったし知らなかったです。
韓国の妨げとなった世界遺産ですが、今は世界遺産となって
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」 の
中に含まれているのですね。
Commented by likebirds at 2019-05-31 18:23
ゆーしょーさん。コメントありがとうございます。
軍艦島の魅力は無駄を排した戦艦にも似た機能美だと思いました。
一時は大都会を超える人口密度を有し、日本の産業を支えてきた
迫力も充分でした。
ゆーしょーさんの新婚旅行の頃はバリバリの現役炭鉱で、観光とは
まったく無縁の日常的な存在だったのでしょうね。
それにしても小さな瀬だった端島をこれだけの島に変貌させる当時の
日本の元気の良さに呆れるばかりです。(likebirds夫)
Commented by kenxken_mints at 2019-06-01 00:15
likebirdsさん こんばんは^^
軍艦島ですか!初めてみます!鳥さんは いるのですか??
ここに住んで暮らしていたのですね・・
廃墟のような・・それでいて・・歴史を感じますねぇ・・
Commented by milletti_naoko at 2019-06-01 06:55
島で石炭が発見されて、それを漁師さんたちが副業で採掘していたということの起こりも興味深いです。つい最近、炭坑閉鎖に反対する炭鉱の人々が出てくる映画を見たばかりなので、新たなエネルギー源として登場し、また新たなものに座を譲った石炭と、その産業に関わった大勢の人々を思いました。斜面を覆う家々の造りが互いにかなり違っていますね。

そうして、どうして船の名前がペルージャなのだろうと、そんなことがひどく気になってしまうわたしなのでありました。ペルージャには海がないので、なおさらのこと。
Commented by likebirds at 2019-06-01 12:42
kenxken_mintsさん。コメントありがとうございます。
軍艦島では鳥さんはまったく見ませんでした。
石炭産業が衰退するまではこの小島に物凄い人数が住んでいた
とのことです。こんなになった場所に立っても当時の賑わいの
感覚が思い浮かぶのが不思議でした。
コンクリートで出来た廃墟感も半端ないものがありました。
石のロボットが居たら「ラピュタ」ですね。(likebirds夫)
Commented by likebirds at 2019-06-01 13:10
milletti_naokoさん。コメントありがとうございます。
大変申し訳ありませんでした。質問されて初めて気づきました。
「ペルージャ」は間違いで「マルベージャ」でした。ゴメンナサイ!
現地では「白いイルカ」の解釈でしたので、そのときに既に「ベルーガ」
と読み違えをしていたようです。それが10日経ってブログに書き込む
際は「ペルージャ」になってしまったようです。
「ペルージャ」は中田英寿選手以来、日本では超有名な地名になって
いますので、無意識に書いてしまったのだと思います。アルツ・・?
元々の端島は時によっては足元がジャブジャブするような島というより
瀬と呼びたくなるようなところだったそうです。漁師達はそこの露出炭
を採取して帰っていたとのことでした。
明治になって巨大炭田層が見つかると炭鉱として発展していきます。
何回も台風被害で挫折を繰り返して、財閥三菱が買収してやっと軌道に
乗りその後はもう大車輪の勢いで発展したみたいです。
子供の頃から炭鉱閉鎖の話は何度も聞いて育ちました。三池炭鉱や常磐
炭鉱、夕張炭鉱などいくつも思い出されます。常磐炭鉱の経営する「常
磐ハワイアンセンター」は子供の頃のあこがれの場所でした。
とにかくお父さんお母さんお爺ちゃんお婆ちゃんの時代の日本人はメチャ
メチャに元気だったんですね。(likebirds夫)
Commented by トシ at 2019-06-02 16:51
遠くから見ると正に軍艦の様に見えます。
炭鉱中心の企業城下町ですね。
今でも残る建物のひしめき具合から、人口密度の高さが窺い知る事が出来ます。
遠い昔には漁師さんが、副業で採炭していたとは初めて知りました。
どんな出発点もこの様な感じでしょうね。
Commented by likebirds at 2019-06-03 09:28
トシさん。コメントありがとうございます。
軍艦島周辺の炭鉱は粘度が高くとても良質の石炭が採れたそうです。
戦前戦中戦後の日本経済を文字通り支えた島だったのだろうと上陸
して思いました。
漁業の合間の採炭から軍艦島までの変遷を考えると、昔の日本人の
エネルギッシュさに驚きます。
以前は自己責任でかなり建物の奥まで入ることが出来たそうですが
現在は観光地となって安全のため歩けるのはほんの一部です。
それでも充分なくらいの廃墟感でした。(likebirds夫)
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