バスでの長崎市内観光を終えて次の目的地に移動する前に、バスの座席が悪くて見られなかった浦上天主堂と出島を見ることにしました。
相変わらずの雨で自分の車からでも撮影するのは大変でしたが、浦上天主堂と出島を見ることができたので良かったです。
(likebirds妻)
写真をクリックして拡大画像をご覧ください
雨の中を車で浦上天主堂を目指しました

赤レンガの美しい浦上天主堂

左折して横からも
出島和蘭商館跡が見えてきました
和蘭商館跡入り口
一面に木製の忍び返しが張り巡らされていました
定期観光バスの車窓から浦上天主堂を見学する予定でしたが、座席でスカを引いてしまい一瞬も
見ることが出来ませんでした。それではあまりにも悔しいので長崎の街を去る前に自分の車を運転
して見に行きました。写真は助手席のlikebirds妻が撮ったものです。
浦上は戦国時代末期に有馬晴信が軍事支援の代わりにイエズス会から寄進を要求されてイエズス
会の直轄地にされた場所です。豊臣秀吉の時代になると長崎の多くの部分がイエズス会直轄地にな
りました。
あやうくルソンやマカオの運命を辿るところだった訳ですね。これを救ったのが悪名高い秀吉の
禁教令だったのは歴史の二面性でしょうか。秀吉による九州征伐が遅れていたら歴史も変わってい
たかもしれませんね。
イエズス会の直轄地だった訳ですから、この頃は住民の有力者から庶民に至るまで大部分がキリ
スト教に改宗していたのは頷けます。
禁教令による数々の悲劇がここから始まるわけですが、あまりに暗くてこのブログに不向きなの
で止めておきます。「浦上崩れ」でググってみてください。
さて明治になり禁教令が解かれ、この浦上に立派な教会が建てられますが原子爆弾の投下でこの
東洋一のロマネスク様式大聖堂は二つの尖塔もろとも吹き飛ばされます。アンジェラスの鐘も一つ
が吹き飛んじゃいます。もう一つは今も時を告げているそうです。
現在はコンクリート造りのレンガ貼りで美しい姿を見せていました。気のせいか、雨の中をすっ
くと立っているように見えました。
長崎出島は埋め立てによって今では街の真ん中になっていました。テレビなどで見て知ってい
ましたが前面側には堀があって当時の姿を留めていました。今でいう国際線の空港ロビーのよう
なもので、ここから先は外国ということでしょうね。厳重な塀と堀をみて思いました。(likebirds夫)
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-239308895"
hx-vals='{"url":"https:\/\/likebirds.exblog.jp\/239308895\/","__csrf_value":"d134f55c05cc9f7adf1481fcebc8b3d662361aec9eae565c7ae70ef4387308576bb19d990b01b4a43cc583e9e381fc9d0c7e9f171f148bf7bd4c18b3956e5071"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">