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九州旅行12日目 生月島 ガスパル様 だんじく様 壱部教会
 生月島の潜伏キリシタン関連の史跡は、本当に惨い物語ばかりで胸が痛みました。
激しい迫害は筆舌に尽くしがたいほどで、なぜそこまでキリスト教を信じぬいたのか?
なぜそこまで、キリスト教信者を迫害しなければならなかったのか?
重すぎる歴史を理解するのは本当に難しいです。
(likebirds妻)








写真をクリックして拡大画像をご覧ください






生月島館浦漁港
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黒瀬の辻 殉教地「ガスパル様」
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世界遺産関連「だんじく様」への小道
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「だんじく様」は断崖の下にありました
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絶壁下の「だんじく様」の入り口
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三人を祀る祠、今でも命日の1月16日には弔いが行われています
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扉の閉められていた壱部カトリック教会
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 「黒瀬の辻」は江戸初期にはクロスの辻と呼ばれていた場所です。そこに殉教者ガスパル西こと西玄可の
十字架の碑がありました。その横には小さな石積みの墓のようなものもあり、それがガスパル西の墓と信じ
れて大切に守られてきたそうです。
 西玄可はもともと生月の総奉行でしたが、豊臣秀吉の禁教令後もキリスト教を棄教せずむしろ生月の信者
の世話役になったそうです。捕えられてからイエスキリストと同じに磔刑を望みましたが、聞き入れられず
斬首されました。葬られたのは西の希望通り、信者の墓のある黒瀬(クロス)の辻でした。西玄可の家族
ある妻・娘・息子たちはまるで禁教下の信徒の受難そのものでここでは書けません。前回にUPした聖トマ
西は西玄可(ガスパル西)の次男です。
 西玄可の石積みの墓には供え物が置いてありました。写真を撮ろうと思いましたが、何故か憚られて撮り
ませんでした。
 「だんじく様」は火曜サスペンス劇場に出て来そうな海沿いの高い断崖の上から急斜面で転がり落ちそう
な小道を長々と下りてやっと海に出た波打ち際に竹笹に隠れるようにありました。夫婦と子供3人で海岸の
暖竹に潜んでいたところ、子供が海辺で遊んでしまい、追手の船から見つかり捕えられて3人とも処刑されて
この場所に葬られここが聖地となったそうです。船がこの岸に着岸しようとすると海が荒れるそうです。
 どの話もあまりに悲惨で、なぜ棄教しないのかというのが正直な疑問でした。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-07-10 22:26 | 九州旅行 | Comments(4)
Commented by youshow882hh at 2019-07-11 14:58
こんにちは。ゆーしょーです。
「だんじく様」 という言葉を初めて聞きました。
崖の上へ車を止めて崖下まで降りていったのですね。
そこには小さな岩で組み立てられた祠があるのですね。
仰るように、サスペンスに出てくるような風景ですね。
Commented by likebirds at 2019-07-11 17:33
ゆーしょーさん。コメントありがとうございます。
「だんじく様」という言葉は私も旅行前の下調べで初めて
知りました。崖の上に車を置いて急な坂と階段を下りて行
きました。どこまで続くのか?と思った頃に海辺に着きま
した。悲しい話の場所でしたが、浜には春の明るい太陽が
降り注ぎ眩しいほどでした。(likebirds夫)
Commented by kenxken_mints at 2019-07-11 22:56
likebirdsさん こんばんは^^
ホントウですよね・・人間なのに・・
同じ人間なのに・・集団心理・・でしょうかねぇ・
宗教は個人の自由なのですがぁ・・悲しい時代ですよね・・
Commented by likebirds at 2019-07-12 13:02
kenxken_mintsさん。コメントありがとうございます。
ガスパル西は友人の手によって斬首されました。信徒を取り締まる
人たちもある意味で被害者だったのだと思います。
徳川家光の頃にはローマ教会はとっくに日本からの撤退を決めて
いましたから、日本の信徒はポツンと取り残されてしまったん
ですね。
ところで南の島の記事を楽しませていただいております。エリグロア
ジサシの素晴らしい写真に脱帽です。(likebirds夫)
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