生月島のサンセットウェイは、ずっと西側に海を眺めて走る道路で、
この日もまだ昼過ぎだというのにサンセット撮影のために三脚をセットしている方が居ました。
小さな生月島は一日で回ることが出来ましたが、「幸四郎様」と呼ばれている史跡はなかなか見つけられずに、諦めかけた時にやっと見ることができました。
薄暗い木立の中にひっそりと隠れるように石積みの祠がありました。
(likebirds妻)
写真をクリックして拡大画像をご覧ください
生月サンセットウェイ
生月サンセットウェイ 昼間の時刻ですが;

生月島最後の訪問先「幸四郎様」
石段の路地を登ります

幸四郎様を祭った祠

生月島から見た中江ノ島

生月島最後の訪問地「幸四郎様」です。
幸四郎は元々は潜伏キリシタンを取り締まるために派遣された役人だったそうです。役務中に急に失明し、
その地のキリシタン達の懸命な看護によって回復したことによって本人もキリシタンに改宗したものの最後
には捕えられて殉教したとのことです。聖パウロの説話に似た話を見つけることが出来るとも読みました。
幸四郎様が失明したのは、逃げるキリシタンに向けて放った矢が旋回してきて自分の目に当たったとの伝
承も残っているそうです。この話はとても興味深いと思いました。矢が旋回したのは逃げるキリシタンを神
が救うためでしょうか。それとも矢を放った幸四郎に罰を与えるためでしょうか。
信徒の受難には全く無関心であったと思われるような神様の無策をいくつも観光して見せつけられた来た
私にとっては驚くべき奇跡の伝承でした。日本的な御利益(ごりやく)はまったく無いなと思っていたので。
今回生月島まで来てみて思うことは、島原天草の悲劇と外海から西海・平戸島・生月島の悲劇とは違うと
いうことでした。
前者は苛政による民衆の反乱とキリシタン武士たちの復権闘争とも捉えることができます。それに反して
後者はこの地にキリスト教が布教されなければ取り締まるものも居らず、取り締まられるものも居なかった
と思えてならないことです。(炎上しませんように!)
生月島からもキリシタンの聖地である中江ノ島は間近に見えました。潜伏キリシタンは捉えられると縛ら
れて中江ノ島へ連れていかれて次々と処刑されたそうです。現世では神のご加護もなく苦しみのみ甘受しな
がら断固として棄教せず処刑の島へ曳かれていく信徒の行列を島の信徒たちはどのような思いで見ていたの
か想像もつきません。(likebirds夫)
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