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2019年 05月 18日 ( 1 )
九州旅行 長崎県 島原城
 島原城に着いたのは、少し日が傾きかけた頃。
お城に続く坂道から、苔むした大規模な石垣が目に飛び込んできました。
ただただ静かに迫ってくる石垣には、威圧感さえ感じました。
島原城は、大きな美しいお城でした。
(likebirds妻)









写真をクリックして拡大画像をご覧ください






美しい島原城
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裏に降りていくと、キリシタンの墓碑が
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当時の水道管も
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島原の乱の原因となった立派な城郭
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苔むした石垣、とても大規模でした
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ゆるキャラのしまばらん(ちょっと意味深な気が。。考えすぎ?)
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 島原城は島原の乱の原因を作った城として有名ですね。1618年から7年かけて築城されました。
 有馬家が転封の後、肥前日野江4万3千石を継いだ松倉重政・勝家父子が幕府の一国一城制に従って
もともとあった原城と日野江城をぶっ壊して新たに造った城が島原城です。この城が石高から考えると
超の付くほどリッチ&ゴージャスな城で、領民に過大な労役や負担をかけたのがそもそもの始まりです。
 廃城する原城や日野江城から石垣の石を運ばせるために領民を有無を言わさず大動員。資金を得るた
めに大増税。新税の発明とその乱発のしまくりとそれこそ絵にかいたような暴君ぶりを発揮します。
 それだけでなく、幕府に気に入られようと江戸城の改築なども他藩を尻目に率先して引き受ける忠勤
ぶり。ボクほど立派な藩主は居ないよーーーという訳です。費用はもちろんゼーキンです。
 そんな松倉重政ですが禁教のキリシタンの取り締まりは案外寛大だったそうです。そんなことより労
役と税が重要だったのかもしれませんね。
 ところが三代将軍徳川家光にそれを注意されてしまいます。
   チミー! キリシタン取り締まり甘すぎじゃないのーー?
 慌てた松倉重政は豹変します。徳川得意の拷問「駿河問い」顔負けのSMチックな拷問をいくつも使
ってキリシタン達を弾圧しました。それは無垢の児童たちにも及ぶ残虐なものでした。詳しくはググっ
てみてください。とても書けません。
 次に思いついたのが、家光に忠誠のあかしとしてキリシタンの牙城ルソン島討伐を願い出ることです。
幕府の許可が出ると、その莫大な戦費を調達するために領内にさらなる重税をかけました。でも、既に
絞れるだけ搾り取られていた領民たちはどんなに無理をしても払えません。松倉父子は、もう物理的に
も払えない農民・漁師・商人・庄屋などの妻子を人質にとって責め上げました。
 松倉重政は小浜温泉で急死しましたが、子の勝家が政策をそっくりそのまま引き継ぎました。
 寛永14年、有馬村の庄屋の身籠った妻が人質にされます。村中の人が集まり救出策を考えましたが
なによりもう差し出すものがありませんでした。結局、庄屋の妻は水責めにされ、母子ともに絶命しま
した。村民には反乱以外の道は残っていませんでした。衆議一決、代官屋敷に雪崩込みました。
 ついに島原の乱の幕が切って落とされたのです。
 そう言えば、もうすぐ増税がやってきますね。自分的にはまったく上記と関連付けてはいませんが。
 (likebirds夫)


by likebirds | 2019-05-18 18:00 | 九州旅行 | Comments(4)