人気ブログランキング |
カテゴリ:九州旅行( 62 )
九州旅行12日目 生月島 幸四郎様 中江ノ島
 生月島のサンセットウェイは、ずっと西側に海を眺めて走る道路で、
この日もまだ昼過ぎだというのにサンセット撮影のために三脚をセットしている方が居ました。
小さな生月島は一日で回ることが出来ましたが、「幸四郎様」と呼ばれている史跡はなかなか見つけられずに、諦めかけた時にやっと見ることができました。
薄暗い木立の中にひっそりと隠れるように石積みの祠がありました。
(likebirds妻)








写真をクリックして拡大画像をご覧ください






生月サンセットウェイ
a0052080_21572811.jpg







生月サンセットウェイ 昼間の時刻ですが;
a0052080_21522823.jpg







生月島最後の訪問先「幸四郎様」
a0052080_18415589.jpg







石段の路地を登ります
a0052080_18392772.jpg







幸四郎様を祭った祠
a0052080_14234356.jpg









生月島から見た中江ノ島
a0052080_21401111.jpg








 生月島最後の訪問地「幸四郎様」です。
 幸四郎は元々は潜伏キリシタンを取り締まるために派遣された役人だったそうです。役務中に急に失明し、
その地のキリシタン達の懸命な看護によって回復したことによって本人もキリシタンに改宗したものの最後
には捕えられて殉教したとのことです。聖パウロの説話に似た話を見つけることが出来るとも読みました。
 幸四郎様が失明したのは、逃げるキリシタンに向けて放った矢が旋回してきて自分の目に当たったとの伝
承も残っているそうです。この話はとても興味深いと思いました。矢が旋回したのは逃げるキリシタンを神
が救うためでしょうか。それとも矢を放った幸四郎に罰を与えるためでしょうか。
 信徒の受難には全く無関心であったと思われるような神様の無策をいくつも観光して見せつけられた来た
私にとっては驚くべき奇跡の伝承でした。日本的な御利益(ごりやく)はまったく無いなと思っていたので。
 今回生月島まで来てみて思うことは、島原天草の悲劇と外海から西海・平戸島・生月島の悲劇とは違うと
いうことでした。
 前者は苛政による民衆の反乱とキリシタン武士たちの復権闘争とも捉えることができます。それに反して
後者はこの地にキリスト教が布教されなければ取り締まるものも居らず、取り締まられるものも居なかった
と思えてならないことです。(炎上しませんように!)
 生月島からもキリシタンの聖地である中江ノ島は間近に見えました。潜伏キリシタンは捉えられると縛ら
れて中江ノ島へ連れていかれて次々と処刑されたそうです。現世では神のご加護もなく苦しみのみ甘受しな
がら断固として棄教せず処刑の島へ曳かれていく信徒の行列を島の信徒たちはどのような思いで見ていたの
か想像もつきません。(likebirds夫)
 

by likebirds | 2019-07-22 23:06 | 九州旅行 | Comments(4)
九州旅行12日目 生月島  焼山 塩俵断崖 大バエ灯台
 壱部カトリック教会は門が閉まっていたので、焼山へと向かいました。
ここにも悲しい歴史が語られ、隠れキリシタンの聖地と呼ばれるところです。
草に覆われひっそりした細い道の先に、小さな民家のような教会がありました。
道しるべのような石柱の横に、誰かが植えた美しい花がひときわ目を引きました。
大バエ灯台は海に突き出ていて、東シナ海を一望する美しい景色でしたが、強風で怖いほどでした。
因みに「ハエ」と言うのは、海に突き出した岬状の岩礁を指す、長崎北部の方言だそうです。
(likebirds妻)






写真をクリックして拡大画像をご覧ください






史跡「焼山」への小道
a0052080_15471513.jpg








a0052080_23434164.jpg







現在の「焼山」には十字架付きのお堂が建っています
a0052080_15481689.jpg






焼山石碑の横に咲いていた花
a0052080_23442731.jpg






柱状節理の塩俵断崖
a0052080_23450177.jpg







断崖上の駐車場
a0052080_15494062.jpg






大バエ灯台
a0052080_23452189.jpg







サンセットロード沿い ほんの一部のみ耕作された棚田
a0052080_15530929.jpg







 史跡「焼山」は生月島の壱部という場所から小高いこんもりとした林の中へ小道を入って
行くとありました。草むらの中に「史跡焼山」と彫られた石柱がありました。そばには木造
の平屋の教会がありますが、白壁に十字のマークがあるので辛うじてキリスト教関連施設と
分かる程度でした。
 「焼山」とはキリシタン達を切り捨てて穴に放り込んで火を付けたという説と、この場所
に教会があり集まった信者たちを焼き討ちしたという2説があるそうです。さらには付近一
が焼き払われたとする説もあると読みました。
 奥にお堂があり、賽銭箱なども置かれていたことから少しづつカトリックから変遷して土
着化していったことが推測されるそうです。
 私たちが訪ねたときには付近に人影はまったく見えず静まり返った草むらに弱い風が吹く
のみでした。
 生月島をさらに北進すると、景勝地「塩俵断崖」に着きました。溶岩台地の上に玄武岩が
重なり縦に亀裂が入り幾何学模様を見せているそうです。この奇岩と青い海の風景は本当に
絶景と言う言葉がふさわしく気持ちの良いものでした。
 その先の大バエ灯台まで北進して、サンセットロードを南下しました。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-07-13 17:09 | 九州旅行 | Comments(4)
九州旅行12日目 生月島 ガスパル様 だんじく様 壱部教会
 生月島の潜伏キリシタン関連の史跡は、本当に惨い物語ばかりで胸が痛みました。
激しい迫害は筆舌に尽くしがたいほどで、なぜそこまでキリスト教を信じぬいたのか?
なぜそこまで、キリスト教信者を迫害しなければならなかったのか?
重すぎる歴史を理解するのは本当に難しいです。
(likebirds妻)








写真をクリックして拡大画像をご覧ください






生月島館浦漁港
a0052080_17403166.jpg







黒瀬の辻 殉教地「ガスパル様」
a0052080_21354215.jpg







世界遺産関連「だんじく様」への小道
a0052080_17422885.jpg







「だんじく様」は断崖の下にありました
a0052080_17432174.jpg







絶壁下の「だんじく様」の入り口
a0052080_17435085.jpg









三人を祀る祠、今でも命日の1月16日には弔いが行われています
a0052080_21360159.jpg






扉の閉められていた壱部カトリック教会
a0052080_21362308.jpg




 
 「黒瀬の辻」は江戸初期にはクロスの辻と呼ばれていた場所です。そこに殉教者ガスパル西こと西玄可の
十字架の碑がありました。その横には小さな石積みの墓のようなものもあり、それがガスパル西の墓と信じ
れて大切に守られてきたそうです。
 西玄可はもともと生月の総奉行でしたが、豊臣秀吉の禁教令後もキリスト教を棄教せずむしろ生月の信者
の世話役になったそうです。捕えられてからイエスキリストと同じに磔刑を望みましたが、聞き入れられず
斬首されました。葬られたのは西の希望通り、信者の墓のある黒瀬(クロス)の辻でした。西玄可の家族
ある妻・娘・息子たちはまるで禁教下の信徒の受難そのものでここでは書けません。前回にUPした聖トマ
西は西玄可(ガスパル西)の次男です。
 西玄可の石積みの墓には供え物が置いてありました。写真を撮ろうと思いましたが、何故か憚られて撮り
ませんでした。
 「だんじく様」は火曜サスペンス劇場に出て来そうな海沿いの高い断崖の上から急斜面で転がり落ちそう
な小道を長々と下りてやっと海に出た波打ち際に竹笹に隠れるようにありました。夫婦と子供3人で海岸の
暖竹に潜んでいたところ、子供が海辺で遊んでしまい、追手の船から見つかり捕えられて3人とも処刑されて
この場所に葬られここが聖地となったそうです。船がこの岸に着岸しようとすると海が荒れるそうです。
 どの話もあまりに悲惨で、なぜ棄教しないのかというのが正直な疑問でした。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-07-10 22:26 | 九州旅行 | Comments(4)
九州旅行12日目 生月島 生月島大橋から山田カトリック教会
 平戸の春日集落の棚田を見てから、生月島(いきつきしま)へ渡りました。
生月島は平戸島よりさらに小さな島で、潜伏キリシタン関連の史跡も沢山ありました。
一つ一つの史跡に深く重い史実が語られていて、その歴史にとても興味を惹かれました。
(likebirds妻)






写真をクリックして拡大画像をご覧ください






生月島大橋を渡って生月島へ
a0052080_18162399.jpg








田植えの終わった水田
a0052080_18162933.jpg






生月観音
a0052080_18170064.jpg







山田カトリック教会
a0052080_18153594.jpg







教会正面から
a0052080_18154400.jpg







教会の横には聖トマス西列聖記念碑が
a0052080_18161448.jpg






 平成31年4月27日、平戸島から生月島大橋を通って生月島へ渡りました。 橋を渡って直進すると巨大な観音像が
見えました。あまりに目立つので予定にはありませんでしたが立ち寄りました。
 その先の教会が「山田カトリック教会」です。潜伏キリシタンの島と言われた生月島では多くの住民がカトリックに
復帰せずに従来の隠れキリシタンの信仰を続ける中、佐世保の黒島からカトリックへ復帰した信徒がこの地に訪れて説得
をしたそうです。そのことによりカトリックに復帰した数世帯の人々の子孫がこの教会の信徒だそうです。
 山田教会のすぐ横には長崎で殉教した「長崎16聖人」の一人聖トマス西(西六左衛門)の碑もありました。
 (likebirds夫)


by likebirds | 2019-07-08 20:50 | 九州旅行 | Comments(2)
九州旅行12日目 平戸島 川内峠 中江ノ島 山野カトリック教会 春日の棚田
 平戸に入った次の日は、見事な晴天に恵まれ、美しい眺望を堪能することが出来ました。
川内峠はツツジが満開で鮮やかな景色が広がっていました。
春日集落の棚田は、パズルのような田んぼが、だんだんに広がって、芸術作品を見ているようでした。
この地をとても大切に守っていることが、手入れされた田んぼや畦道の美しさを見て伝わってきました。
(likebirds妻) 






写真をクリックして拡大画像をご覧ください








川内峠
a0052080_22374040.jpg







川内峠からの眺望
a0052080_17115433.jpg








賑やかに囀っていたホオジロ
a0052080_22380019.jpg







川内峠を西進し、生月島大橋方面へ 小さな島が見えてきます
a0052080_17130147.jpg







潜伏キリシタンの聖地 中江ノ島
a0052080_22382333.jpg





山野カトリック教会
a0052080_22384213.jpg





春日集落の棚田
a0052080_22390748.jpg







棚田はちょうど田植えの終わった時期でした
a0052080_18245925.jpg








棚田は安満岳の麓から海辺までずーっと続いていました
a0052080_17170094.jpg







 平戸島の川内峠はテレ東「出川の充電させてもらえませんか?」で見た峠です。番組で見たときには
あいにくの雨でしたが、私たちが通ったときには良いお天気で島の両側の海を見ることが出来ました。
道路の両側は草原になっていて爽やかな風が吹き抜け、車を下りてしばらく眺望を楽しみました。
 川内峠をさらに西進すると生月島大橋ですが、生月島へ渡る前に山野カトリック教会へ寄ることにし
ました。この地は厳しい禁教下の文政年間に外海地区のキリシタン達が一旦は五島に逃れたものの、五島
に安住することは出来ず、さらに平戸島へ逃げ渡って住み着いた場所なのだそうです。ここの住民全てが
キリスト教徒と聞きましたが、私たちが行った時には周囲に誰も居ませんでした。ちなみにこの山野集落
に住む人たちほとんどが山野姓だそうです。
 山の集落をさらに西進すると棚田で有名な春日集落です。春日の棚田は安満岳の麓から海まで伸びる広大
な棚田です。安満岳は平戸の神・仏・キリシタンの三つの聖地です。
 フランシスコ・ザビエル神父がポルトガル船寄港地でもあった平戸で布教したこともあり、平戸にはキリ
シタンが増えました。秀吉・家康・家光の厳しい禁教令下で多くの住民が棄教するなか、平戸の西岸や生月
島は当時は僻地だったこともあり、密かに信仰を続ける人たちも居たそうです。
 春日集落では表向きは棄教して神仏を信仰しながら、組織的にキリスト教信仰を続けたとのことです。さ
らに明治にキリスト教が解禁になってもカトリックに復帰せずに従来の信仰を続けたそうです。ですから
この集落には教会がありません。
 春日集落の巨大な棚田を見ると、組織的に信仰を続けたことや、信仰解禁後も全員が従来の隠れキリシタン
を続けたことなど、村民の団結力を感じざるを得ませんでした。
 訪ねたのが丁度田植えの農繁期で棚田へ車の乗り入れが出来ませんでしたので、歩いて畦道を登りました。
 (likebirds夫)


 

by likebirds | 2019-07-06 18:42 | 九州旅行 | Comments(2)
九州旅行 11日目 平戸 三浦按針の墓 ザビエル記念碑 日本最古の茶畑
 平戸島はキリスト教関連遺産が沢山ありましたが、場所を見つけるのが大変でした。
見過ごしそうな横道の先だったり、茂った木立の向こうだったり、心配になるほど細い道の先だったり・・・
やっと見つけたときは本当に「ほっ」としました。
(likebirds妻)





写真をクリックして拡大画像をご覧ください







イギリス人旗本「三浦按針の墓」
a0052080_18101632.jpg







按針の墓からしばらく下ると「平戸ザビエル記念碑」が
a0052080_18104106.jpg







平戸ザビエル記念教会
a0052080_18110887.jpg







ザビエル記念教会の隣は光明寺。教会と寺院両方が見える貴重な景色です
a0052080_20345101.jpg








フランシスコザビエル像
a0052080_20351512.jpg







平戸殉教者顕彰慰霊の碑
a0052080_18120218.jpg







こざっぱりしたカトリック古江教会
a0052080_18130537.jpg







古江教会の模様ガラス
a0052080_18133169.jpg







日本最初の茶畑 「冨春園」
a0052080_18140440.jpg







看板には驚きの内容が書かれていました
a0052080_19551423.jpg






 三浦按針の墓が平戸にあることを今回の旅行で初めて知りました。三浦按針は徳川家康の外交顧問として
旗本の地位を与えられ、江戸に住み江戸で亡くなったものと思っていました。
 大坂冬の陣で大阪城本丸に命中させて淀君の戦意を一気に削いだカルバリン砲も三浦按針を仲介させて
イギリスから手に入れたものですよね。
 実際には三浦按針は故郷のイギリスへ帰りたくなったようです。家康の許可を得て息子に家督を譲って
イギリスへ向かう船に乗ったそうです。ところがその船上で船長と仲たがいをして平戸で船を下りちゃった
そうなんです。これも2度ビックリでした。その内、家康もなくなり、秀忠の時代になり不遇な晩年となった
とのことです。
 今回の九州旅行ではあまりにも道が狭くて車を進めるべきか迷うことがとても多かったです。「カトリック
古江教会」もそのひとつでした。古江湾先端近くの小富士山の麓にあって、今でこそ軽自動車がやっと通れる
ほどの山道が続いていますが、江戸時代や明治時代は僻地の中の僻地で陸の孤島だったのではないでしょうか。
それだからこそ潜伏キリシタンの信仰が守られたのかもしれません。現在、この巡回教会を守っているのは数
世帯とのことです。そう思ってもう一度この教会を見渡すと周囲の整然感は感動モノでした。
 「冨春園」という日本最初の茶畑があることも今回の旅行で知りました。車で走っていたら書付があったの
で止まってみました。ともすれば見逃してしまいそうなとても小さな茶畑が守られてきたことに驚きました。
 (likebirds夫)




by likebirds | 2019-07-04 20:55 | 九州旅行 | Comments(0)
九州旅行 11日目 平戸 オランダ商館通り 上神崎教会
豪雨に見舞われている九州地方の皆様にお見舞い申し上げます

 平戸中心街は細い道の両側に、レトロな街並みが続いて、とても素敵なところでした。
街を抜けていくと白いオランダ商館が海に向かって建っていました。
平戸は戦国から江戸初期にかけて外国との交易で栄え、1641年にオランダ商館が長崎の出島に移転されるまでの100年間は
日本中で最も国際都市であったと言われた街です。
中心が長崎、佐世保に移ったことで戦災からは無縁の街となり、往時の雰囲気を今に伝えています。
(likebirds妻)





写真をクリックして拡大画像をご覧ください







平戸の中心街付近のT字路
a0052080_15184845.jpg







小江戸風の古い町並みが素敵でした
a0052080_15192721.jpg






長崎出島へ移る前にはオランダ商館(復元)は平戸にありました
a0052080_15454494.jpg







ドアの補修工事中でした
a0052080_16591704.jpg






オランダ商館横のオランダ井戸
a0052080_15452068.jpg






草生した井戸
a0052080_16562613.jpg






本丸の位置で平戸城は海側に向かって建っているのがわかります
a0052080_16283366.jpg






カトリック上神埼教会
a0052080_15465332.jpg







上神埼教会正面
a0052080_15475236.jpg






 しばらくお休みしましたが、九州の旅を再開させていただきます。
 平戸の地が極東貿易の最重要拠点であったことは、平戸大橋を渡りオランダ商館通りを車で走ってみると
説明抜きに実感できます。イギリス商館跡やポルトガル船入港地碑、幸い橋(オランダ橋)オランダふ頭
などを次々と目にすることが出来ました。復元されたオランダ商館を見ても江戸初期までの賑わいを感じる
ことが出来ました。
 上神崎教会は明治初期に黒島から小舟でキリスト教信徒6家族が上陸したのが始まりなのだそうです。その
後、五島などからも続々と信徒が移住してきて、旧松浦藩放牧地に上神崎教会が建てられたとのことです。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-07-03 19:07 | 九州旅行 | Comments(2)
九州旅行 11日目 平戸 田平教会 平戸城 幸い橋
 佐世保から、平戸島へ向かいます。
平戸は、17世紀には幕府の許可の下、オランダ船やイギリス船がとの交易が盛んでした。
日本初の西洋貿易港として栄え、その後長崎の出島に貿易港が移されるまで異国文化の発祥地でした。
行く先々の道路や空き地には、綺麗な花が植えられて、とても素敵なところでした。
(likebirds妻)







写真をクリックして拡大画像をご覧ください







松浦線江迎川橋梁
a0052080_18313685.jpg







江向川のほとりに「松浦公本陣屋敷跡」と老舗「潜龍酒造」
a0052080_19442245.jpg







さらに北上して松浦の手前の田平に入りました
a0052080_19485797.jpg








田平教会
a0052080_18311470.jpg







古い赤レンガ壁
a0052080_19521429.jpg







平戸口教会
a0052080_18211338.jpg







焼罪史跡公園
a0052080_18215913.jpg










平戸大橋  この橋を渡ると平戸島です
a0052080_18321217.jpg







島に入るとひときわ目立つ平戸城
a0052080_18322998.jpg







聖ペドロ・バプチスタ神父平戸上陸記念碑
a0052080_18225598.jpg







幸橋(別名はオランダ橋)
a0052080_18324698.jpg





 2019年6月26日、九州旅行11日目。佐世保を立って江向川沿いを北進して
田平に入りました。松浦線の鉄橋を可愛い一両編成の列車が渡っているのを見て、次
の列車を写真に撮ろうと待ちました。すると次の列車は2両編成でした。うまくいき
ませんね。川の右横を見ると、「松浦公本陣屋敷跡」と老舗の酒蔵「潜龍酒造」があ
りました。
 さらに北上すると松浦手前の田平に入ります。田平ではカトリック田平天主堂、平
戸口教会を見学しました。
 田平教会はイコモスの提言で天草・長崎地方の潜伏キリシタン関連世界遺産から除
外されました。理由は禁教時の史跡に限定したほうが良いとの意見です。同理由で禁
教後の長崎の教会群も多く除外されました。逆に禁教前だということで前出の有馬晴
信の日野江城も外されました。
 生意気を言わせていただければ、これは残念なことだと思います。これによって
世界史的な大航海時代の長崎のダイナミックな位置がぼやけ、ポルトガル船とキリシ
タン大名による大量の日本人奴隷の世界中への流出・拡散などの世界史的事実が曖昧
になると思うからです。ポルトガル船とオランダ船と幕府御朱印船の熾烈な商圏争い
やそれによる過度の銀流出による畿内銀本位制の動揺という大航海時代の極東の歴史
観点も薄れます。また、明治の禁教後のヨーロッパキリスト教の再上陸と日本の潜伏
キリシタンのその後の選択にも目が向きにくくなります。
 ダイナミックな歴史が禁教という日本の悪政と虐げられても信仰を貫く純粋無垢な
潜伏キリシタンというような人間味のない話に矮小化される危険があると思いました。
 平戸大橋の田平側にある焼罪史跡公園は禁教令でマカオへ追放になった後、再び日
本へ再潜入して火炙りの刑になったカミロ・コンスタツォ神父の殉教碑がありました。
カミロ神父に協力した生月島の人々は中江ノ島で処刑されたそうです。
 そのあと、私たちは平戸大橋を渡っていよいよ平戸島へ入りました。平戸の地を踏
んですぐに目に入ったのは立派な平戸城でした。現在修復工事が行われていて所々行
けない場所がありましたが、松浦氏の雄大な海城の雰囲気は満喫できました。
 平戸城のすぐそばには聖ペドロ・バプチスタ神父平戸上陸記念碑がありました。秀
吉の禁教政策を決定的にしたスペイン船サン・フェリーペ号事件によって京都でバプ
チスタ神父は捕えられ処刑されました。南蛮から紅毛への時代でもあったわけですね。
 (likebirds夫)




by likebirds | 2019-06-21 22:21 | 九州旅行 | Comments(4)
九州旅行10日目 佐世保  九十九島 三浦町教会
 九十九島のパールリゾートに到着したとき、遊覧船の出発直前で、運よく午前の便に滑り込むことが出来ました。
鏡のような海をゆっくり進む船からの景色は、可愛らしい緑の島が点在してとても綺麗でした。
下船したら、既に昼過ぎになっていたので、食べたことの無いあご出汁ラーメンを食べることにしました。
すっきりした出汁とごま油の風味が効いたっとても美味しいラーメンでした。
それからは三浦町教会を見て、佐世保方面に向かいました。
佐世保港は、造船所の重機と作りかけの大きな船が見えて、とても活気がありました。
(likebirds妻)






写真をクリックして拡大画像をご覧ください






展海峰(展望所)からの九十九島
a0052080_18560186.jpg







地名は九十九島ですが、実際の島は200以上です
a0052080_18580574.jpg






映画「ラストサムライ」のロケに使われた景色
a0052080_23541791.jpg







九十九島パールシーリゾートの遊覧船に乗りました
a0052080_19004716.jpg





横島
ライオンが横たわった姿に見えるとのことですが、私には「ひょっこりひょうたん島」に見えました
a0052080_23543561.jpg






真珠の養殖
a0052080_23545833.jpg






牡蠣の養殖
a0052080_23551051.jpg






波に洗われて出来た奇岩
a0052080_23552266.jpg






臼の浦富士
a0052080_23553710.jpg






遊覧船 みらい
a0052080_23564184.jpg






あご出汁ラーメン、超美味
a0052080_23565436.jpg






佐世保の三浦町教会 ナビで行ったら裏口でした 105.png
a0052080_19042770.jpg






高台にありました
a0052080_11314116.jpg







佐世保と言ったらSSK
a0052080_19093542.jpg







佐世保重工ですね
a0052080_19102010.jpg







佐世保を後にして松浦・平戸方面へ
a0052080_19111499.jpg





 佐世保の九十九島は想像以上の絶景でした。いくつもの島が複雑に入り組んでいて、遊覧船に乗ると
海の面積が多いか、島の面積が多いかわからないほどでした。
 九十九島には島々其々に興味深い逸話や言い伝えが残っているそうです。大蛇や魔物の言い伝えや、
大陸からも恐れられた松浦水軍、源平の戦いに関するものが多いようです。海賊の隠れ家や出撃基地に
はぴったりの場所だったのでしょう。
 佐世保の街中にあるカトリック三浦街教会は軍港設置後に増え続けるカトリック信者のために別の
所に建てられた教会が、さらなる急増に伴い規模を大きくして三浦町に建てられたそうです。
 意味不明ですが、その話を聞いて「さすが佐世保だ」と思いました。(likebirds夫)


by likebirds | 2019-06-19 21:42 | 九州旅行 | Comments(3)
九州旅行9~10日目 西海市 オランダ村 西海橋 針尾送信所
 オランダ村は休業日だったので、西海橋公園へと向かいました。
眼下に西海橋と針尾瀬戸の渦潮が見える景色の美しい所です。
広い芝生の公園には、白い頭のムクドリがちょこちょこ歩き回っていました。
久しぶりの野鳥撮影ですが、薄暗くなっていたので上手く撮れませんでした^^。
ここからは、旧佐世保無線電信所(針尾送信所)の無線塔が見えます。
見たことの無い3本の塔の景色は、不気味な存在感で圧倒されました。
次の日に、すぐ近くで見学できるところに行きました。
そこは送信局舎も当時の姿で残っていて、青々とした蔦に覆われた建物は怖いほどの廃墟感が漂っていました。
無線塔と送信局舎の両方が現存しているのは、日本ではここだけだそうです。
国の重要文化財に指定され2016年には日本遺産に認定されています。
(likebirds妻)



写真をクリックして拡大画像をご覧ください






オランダ村は休業日でした 148.png
a0052080_18464801.jpg







オランダ村付近の島々の入り組んだ大村湾
a0052080_18565582.jpg






西海の丘展望台から西海橋(奥)と新西海橋(手前)
a0052080_19231479.jpg







西海橋公園から見た渦潮
a0052080_17425139.jpg






西海橋公園に頭が白いムクドリが居ました
a0052080_17430549.jpg







対岸を望むと針尾電波塔が見えます
a0052080_17431938.jpg






翌朝に電波塔の根元まで行きました。これは3号塔だそうです
a0052080_17433620.jpg







電波塔の内部
a0052080_19022385.jpg








蔓に覆われた送信局舎
a0052080_17434941.jpg




 有名なオランダ村へ到着するとひっそりとしていて人が居ませんでした。潰れちゃったのかと思いましたが
定休日でした。ありゃりゃ!
 せっかく迂回したオランダ村観光を諦めて針尾方面へ向かいました。針尾へ渡る西海橋手前の西海橋公園へ
行きました。西海の丘展望台は針尾送信所を見るベストポイントと言われています。早速、対岸を展望すると
3本の電波無線塔が不気味にそそり立っていました。
 針尾無線塔はコンクリート製の一辺300m高さ136mの円錐型の塔です。日露戦争のあとに日本海軍が最
新技術で建てた長波無線送信等です。太平洋戦争勃発時の「ニイタカヤマノボレ」の暗号もここで中継されたと
言われています。風呂屋の煙突ではありません。
 美しい自然の風景のなかにニョキっと立つ3本の塔は廃墟の寂寥感満点で天空の城ラピュタのバルスの呪文が
聞こえて来そうな気がしました。
 翌日早朝にコンクリート塔の下まで行ってみました。送信塔の周囲はミカン畑になっていて中継所は草の蔓に
覆われてまったくの廃墟になっていました。その割にはコンクリートの劣化は見られず、完成からほぼ100年
経っているようには見えませんでした。当時のコンクリートの品質の良さなのでしょうか。ボランティアの説
明員のお話ではまだあと100年は大丈夫とのことでした。
 当時の日本には送信塔が3か所あって、他の2か所は千葉県と台湾だそうです。2か所は取り壊されて、残っ
ているのはここ針尾だけです。
 西海橋公園ではlikebirds妻がムクドリの頭部白化個体を見つけました。やはり鳥は外せません。暗くなり始め
ていたので撮影は上手くいきませんでした。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-06-17 23:19 | 九州旅行 | Comments(2)