人気ブログランキング |
<   2019年 06月 ( 12 )   > この月の画像一覧
九州旅行 11日目 平戸 田平教会 平戸城 幸い橋
 佐世保から、平戸島へ向かいます。
平戸は、17世紀には幕府の許可の下、オランダ船やイギリス船がとの交易が盛んでした。
日本初の西洋貿易港として栄え、その後長崎の出島に貿易港が移されるまで異国文化の発祥地でした。
行く先々の道路や空き地には、綺麗な花が植えられて、とても素敵なところでした。
(likebirds妻)







写真をクリックして拡大画像をご覧ください







松浦線江迎川橋梁
a0052080_18313685.jpg







江向川のほとりに「松浦公本陣屋敷跡」と老舗「潜龍酒造」
a0052080_19442245.jpg







さらに北上して松浦の手前の田平に入りました
a0052080_19485797.jpg








田平教会
a0052080_18311470.jpg







古い赤レンガ壁
a0052080_19521429.jpg







平戸口教会
a0052080_18211338.jpg







焼罪史跡公園
a0052080_18215913.jpg










平戸大橋  この橋を渡ると平戸島です
a0052080_18321217.jpg







島に入るとひときわ目立つ平戸城
a0052080_18322998.jpg







聖ペドロ・バプチスタ神父平戸上陸記念碑
a0052080_18225598.jpg







幸橋(別名はオランダ橋)
a0052080_18324698.jpg





 2019年6月26日、九州旅行11日目。佐世保を立って江向川沿いを北進して
田平に入りました。松浦線の鉄橋を可愛い一両編成の列車が渡っているのを見て、次
の列車を写真に撮ろうと待ちました。すると次の列車は2両編成でした。うまくいき
ませんね。川の右横を見ると、「松浦公本陣屋敷跡」と老舗の酒蔵「潜龍酒造」があ
りました。
 さらに北上すると松浦手前の田平に入ります。田平ではカトリック田平天主堂、平
戸口教会を見学しました。
 田平教会はイコモスの提言で天草・長崎地方の潜伏キリシタン関連世界遺産から除
外されました。理由は禁教時の史跡に限定したほうが良いとの意見です。同理由で禁
教後の長崎の教会群も多く除外されました。逆に禁教前だということで前出の有馬晴
信の日野江城も外されました。
 生意気を言わせていただければ、これは残念なことだと思います。これによって
世界史的な大航海時代の長崎のダイナミックな位置がぼやけ、ポルトガル船とキリシ
タン大名による大量の日本人奴隷の世界中への流出・拡散などの世界史的事実が曖昧
になると思うからです。ポルトガル船とオランダ船と幕府御朱印船の熾烈な商圏争い
やそれによる過度の銀流出による畿内銀本位制の動揺という大航海時代の極東の歴史
観点も薄れます。また、明治の禁教後のヨーロッパキリスト教の再上陸と日本の潜伏
キリシタンのその後の選択にも目が向きにくくなります。
 ダイナミックな歴史が禁教という日本の悪政と虐げられても信仰を貫く純粋無垢な
潜伏キリシタンというような人間味のない話に矮小化される危険があると思いました。
 平戸大橋の田平側にある焼罪史跡公園は禁教令でマカオへ追放になった後、再び日
本へ再潜入して火炙りの刑になったカミロ・コンスタツォ神父の殉教碑がありました。
カミロ神父に協力した生月島の人々は中江ノ島で処刑されたそうです。
 そのあと、私たちは平戸大橋を渡っていよいよ平戸島へ入りました。平戸の地を踏
んですぐに目に入ったのは立派な平戸城でした。現在修復工事が行われていて所々行
けない場所がありましたが、松浦氏の雄大な海城の雰囲気は満喫できました。
 平戸城のすぐそばには聖ペドロ・バプチスタ神父平戸上陸記念碑がありました。秀
吉の禁教政策を決定的にしたスペイン船サン・フェリーペ号事件によって京都でバプ
チスタ神父は捕えられ処刑されました。南蛮から紅毛への時代でもあったわけですね。
 (likebirds夫)




by likebirds | 2019-06-21 22:21 | 九州旅行 | Comments(4)
九州旅行10日目 佐世保  九十九島 三浦町教会
 九十九島のパールリゾートに到着したとき、遊覧船の出発直前で、運よく午前の便に滑り込むことが出来ました。
鏡のような海をゆっくり進む船からの景色は、可愛らしい緑の島が点在してとても綺麗でした。
下船したら、既に昼過ぎになっていたので、食べたことの無いあご出汁ラーメンを食べることにしました。
すっきりした出汁とごま油の風味が効いたっとても美味しいラーメンでした。
それからは三浦町教会を見て、佐世保方面に向かいました。
佐世保港は、造船所の重機と作りかけの大きな船が見えて、とても活気がありました。
(likebirds妻)






写真をクリックして拡大画像をご覧ください






展海峰(展望所)からの九十九島
a0052080_18560186.jpg







地名は九十九島ですが、実際の島は200以上です
a0052080_18580574.jpg






映画「ラストサムライ」のロケに使われた景色
a0052080_23541791.jpg







九十九島パールシーリゾートの遊覧船に乗りました
a0052080_19004716.jpg





横島
ライオンが横たわった姿に見えるとのことですが、私には「ひょっこりひょうたん島」に見えました
a0052080_23543561.jpg






真珠の養殖
a0052080_23545833.jpg






牡蠣の養殖
a0052080_23551051.jpg






波に洗われて出来た奇岩
a0052080_23552266.jpg






臼の浦富士
a0052080_23553710.jpg






遊覧船 みらい
a0052080_23564184.jpg






あご出汁ラーメン、超美味
a0052080_23565436.jpg






佐世保の三浦町教会 ナビで行ったら裏口でした 105.png
a0052080_19042770.jpg






高台にありました
a0052080_11314116.jpg







佐世保と言ったらSSK
a0052080_19093542.jpg







佐世保重工ですね
a0052080_19102010.jpg







佐世保を後にして松浦・平戸方面へ
a0052080_19111499.jpg





 佐世保の九十九島は想像以上の絶景でした。いくつもの島が複雑に入り組んでいて、遊覧船に乗ると
海の面積が多いか、島の面積が多いかわからないほどでした。
 九十九島には島々其々に興味深い逸話や言い伝えが残っているそうです。大蛇や魔物の言い伝えや、
大陸からも恐れられた松浦水軍、源平の戦いに関するものが多いようです。海賊の隠れ家や出撃基地に
はぴったりの場所だったのでしょう。
 佐世保の街中にあるカトリック三浦街教会は軍港設置後に増え続けるカトリック信者のために別の
所に建てられた教会が、さらなる急増に伴い規模を大きくして三浦町に建てられたそうです。
 意味不明ですが、その話を聞いて「さすが佐世保だ」と思いました。(likebirds夫)


by likebirds | 2019-06-19 21:42 | 九州旅行 | Comments(3)
九州旅行9~10日目 西海市 オランダ村 西海橋 針尾送信所
 オランダ村は休業日だったので、西海橋公園へと向かいました。
眼下に西海橋と針尾瀬戸の渦潮が見える景色の美しい所です。
広い芝生の公園には、白い頭のムクドリがちょこちょこ歩き回っていました。
久しぶりの野鳥撮影ですが、薄暗くなっていたので上手く撮れませんでした^^。
ここからは、旧佐世保無線電信所(針尾送信所)の無線塔が見えます。
見たことの無い3本の塔の景色は、不気味な存在感で圧倒されました。
次の日に、すぐ近くで見学できるところに行きました。
そこは送信局舎も当時の姿で残っていて、青々とした蔦に覆われた建物は怖いほどの廃墟感が漂っていました。
無線塔と送信局舎の両方が現存しているのは、日本ではここだけだそうです。
国の重要文化財に指定され2016年には日本遺産に認定されています。
(likebirds妻)



写真をクリックして拡大画像をご覧ください






オランダ村は休業日でした 148.png
a0052080_18464801.jpg







オランダ村付近の島々の入り組んだ大村湾
a0052080_18565582.jpg






西海の丘展望台から西海橋(奥)と新西海橋(手前)
a0052080_19231479.jpg







西海橋公園から見た渦潮
a0052080_17425139.jpg






西海橋公園に頭が白いムクドリが居ました
a0052080_17430549.jpg







対岸を望むと針尾電波塔が見えます
a0052080_17431938.jpg






翌朝に電波塔の根元まで行きました。これは3号塔だそうです
a0052080_17433620.jpg







電波塔の内部
a0052080_19022385.jpg








蔓に覆われた送信局舎
a0052080_17434941.jpg




 有名なオランダ村へ到着するとひっそりとしていて人が居ませんでした。潰れちゃったのかと思いましたが
定休日でした。ありゃりゃ!
 せっかく迂回したオランダ村観光を諦めて針尾方面へ向かいました。針尾へ渡る西海橋手前の西海橋公園へ
行きました。西海の丘展望台は針尾送信所を見るベストポイントと言われています。早速、対岸を展望すると
3本の電波無線塔が不気味にそそり立っていました。
 針尾無線塔はコンクリート製の一辺300m高さ136mの円錐型の塔です。日露戦争のあとに日本海軍が最
新技術で建てた長波無線送信等です。太平洋戦争勃発時の「ニイタカヤマノボレ」の暗号もここで中継されたと
言われています。風呂屋の煙突ではありません。
 美しい自然の風景のなかにニョキっと立つ3本の塔は廃墟の寂寥感満点で天空の城ラピュタのバルスの呪文が
聞こえて来そうな気がしました。
 翌日早朝にコンクリート塔の下まで行ってみました。送信塔の周囲はミカン畑になっていて中継所は草の蔓に
覆われてまったくの廃墟になっていました。その割にはコンクリートの劣化は見られず、完成からほぼ100年
経っているようには見えませんでした。当時のコンクリートの品質の良さなのでしょうか。ボランティアの説
明員のお話ではまだあと100年は大丈夫とのことでした。
 当時の日本には送信塔が3か所あって、他の2か所は千葉県と台湾だそうです。2か所は取り壊されて、残っ
ているのはここ針尾だけです。
 西海橋公園ではlikebirds妻がムクドリの頭部白化個体を見つけました。やはり鳥は外せません。暗くなり始め
ていたので撮影は上手くいきませんでした。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-06-17 23:19 | 九州旅行 | Comments(2)
九州旅行9日目 中浦ジュリアン 大島「太田尾教会」
 中浦ジュリアンがどういう人なのか、このときまでは全く知りませんでした。
調べるうちに天正遣欧少年使節四人の1人で、ローマ教皇に謁見した少年だと知り
すごい人だと驚きました。

最初は世界遺産の綺麗な教会を見てみようと思っていたのですが、受け止めきれないくらい重い歴史と直面する旅になりました。
(likebirds妻)





写真をクリックして拡大画像をご覧ください






大きな碑がありました
a0052080_22301768.jpg







中浦ジュリアン記念公園
a0052080_12140929.jpg







中浦ジュリアン像
a0052080_12142244.jpg







記念館の内部、ローマ教皇に謁見したときの様子が描かれていました
a0052080_22303812.jpg






大島大橋
a0052080_22305200.jpg






寺島大橋
a0052080_22310557.jpg






可愛らしい大田尾カトリック教会
a0052080_14423310.jpg





横から
a0052080_22313551.jpg





 外海の出津集落、大野集落を過ぎてさらに20kmほど北上すると西海町中浦の「中浦ジュリアン記念公園」に着きました。
中浦ジュリアンは天正遣欧少年使節四人のうちの一人です。戦国時代に織田信長に謁見のあと、インドのゴア経由で艱難辛
苦の旅でポルトガルに到達しました。
 ヨーロッパでは聖書の東方三賢者(MAGI)に擬えて有名になり大歓迎を受けました。スペインのフェリペ2世やローマ
教皇グレゴリウス13世に謁見しました。
 考えてみると天正遣欧少年使節団の四人は大航海時代の世界史的な人物ですね。(MAGIでググってみてください)
 豊臣秀吉のバテレン追放令の後に帰国し、秀吉に謁見し仕官を進められますが、これを断り、後にジュリアンは九州で布
教を始めました。
 潜伏布教活動は20数年に及びましたが、ついに小倉で捕縛され激しい拷問を受けながら絶命したそうです。このときに同
時に拷問を受けたポルトガル人司祭のフェレイラは耐え切れずに棄教しました。(それが普通ですネ) フェレイラ以外は
全員ジュリアンとともに殉教したそうです。フェレイラは遠藤周作「沈黙」の登場人物です。
 まぁ、日本的無信心の夫婦の気楽な世界遺産の観光旅行が思いのほか重くなっちゃいました。
 小島の大島へは大島大橋と寺島大橋を渡れば行けるので、カトリック太田尾教会まで足を延ばしました。白壁が黒ずんで
いるのは汚れではなく、モルタルに黒い小石を混ぜているからで元々の色だそうです。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-06-16 14:38 | 九州旅行 | Comments(4)
九州旅行9日目 外海 出津集落 大野集落
 出津教会と大野教会は、ド・ロ神父が建てた教会です。
一般的な教会のようにステンドグラスも無く、高い天井空間も持たない、珍しい日本らしい教会です。
宣教師としてやって来た、ド・ロ神父はここに住む人たちの余りの貧しさに心を痛めて、
集落の人たちの暮らしが立ち行くように私財を投げ打って尽力したといわれています。ついに故郷のフランスに帰ることなく一生を終えたそうです。
ここで色々なものを見聞きして、当時の貧しい人たちとキリスト教の深いつながりのようなものをひしひしと感じました。
(likebirds妻)




写真をクリックして拡大画像をご覧ください






ド・ロ神父の執務場所 旧出津救護院
a0052080_18070926.jpg







出津救護院授産場  向こうは海です
a0052080_18095352.jpg







ド・ロ神父記念館と神父の銅像
a0052080_17322971.jpg







ド・ロ神父考案の「ド・ロ塀」百年以上たっても健在です
a0052080_17325586.jpg






出津教会へと続く歴史の道
a0052080_17332332.jpg







歴史の道から見える出津教会堂
a0052080_17334414.jpg






出津教会堂
a0052080_17340784.jpg






ド・ロ神父記念館所蔵 ソロバン
a0052080_17370232.jpg






医療用品など
a0052080_17362021.jpg






人体模型 薬
a0052080_17363758.jpg






様々な農具や道具
a0052080_17364847.jpg






大野教会 (出津教会の巡回教会)
a0052080_17342570.jpg






大野教会
a0052080_17343720.jpg






大野神社
a0052080_17350869.jpg






辻神社
a0052080_17425471.jpg






木立の中に隠れるようだった 門神社
a0052080_17353786.jpg







辻神社へ向かう石積みの小道
a0052080_19000452.jpg







外海の集落は至る所に石積みが。。
a0052080_19004779.jpg








 黒崎を外海の海岸線沿いに少し北上すると出津(しつ)集落があります。その先が大野集落です。明治のキリスト
教解禁以降の外海地区にとってド・ロ神父の存在なくしては語ることが出来ないと思います。
 ド・ロ神父は極貧の外海の人達の生活の向上を目指したそうです。海難事故などのために主を失った家族は悲惨だ
ったようです。
 孤児たちのために孤児院を作り、悲惨な家族のために救護院を作りました。そこでパン工場やパスタ工場、織機を
輸入して織業を起こし、残された家族の生活が立ちいくように積極的に雇用したそうです。フランスの貴族の血を
ひくド・ロ神父はその資産も投げ打って社会奉仕活動に打ち込み故郷に帰ることなく一生を終えたとのことです。
 外海の集落を巡るとあちこちで石積みを目にしました。急斜面での開墾のため土留めに石を積んだようです。神父
は独自に工夫してつなぎ材に赤土と砂に石灰を混ぜる「ド・ロ塀」を考案して耐久性を飛躍的に高めました。出津救
護院や大野教会で塀の健在ぶりを見ることが出来ました。ド・ロ神父は外海の人々に真に必要なことを理解して実践
した人だったと思いました。
 大野集落にある神社は潜伏キリシタンや従来の神仏を信じる人たちが各々の思いで其々の神を祀っていたそうです。
どの神社もひっそりと隠れるように建っていて探すのに苦労しました。中でも島原の乱で逃れてきたキリシタン本田
敏光を祀った「門神社」は見つけられずに一度は諦めて車を北上させました。途中で立ち寄った食堂で、食事中のお
爺さんに教えてもらい再び戻り見つけることが出来ました。(likebirds夫)






by likebirds | 2019-06-15 18:39 | 九州旅行 | Comments(0)
九州旅行9日目 長崎 外海地区 黒崎教会 枯松神社
 雨の長崎市内を後に、西側にずっと海が見える「サンセットロード」を進み、外海へ向かいました。
これからは、世界文化遺産に登録された潜伏キリシタンにまつわる教会などを見て回るのが目的のひとつです。
カトリック黒崎教会はすぐに見つけることが出来ました。
この建物は、信者の方が一つ一つ積み上げた赤いレンガで出来ていて、とても美しい教会でした。
枯松神社はキリシタン神社です。森の中にひっそりと建っていました。
潜伏キリシタン達が、神社にカモフラージュして神父の墓を守った聖地なのだそうです。
(likebirds妻)








写真をクリックして拡大画像をご覧ください






黒崎の小高い丘に黒崎教会は建っていました
a0052080_18211442.jpg







カトリック黒崎教会
a0052080_21161369.jpg







大野集落の潜伏キリシタンが密かに祈りをささげた枯松神社
a0052080_18250706.jpg







枯松神社は遠藤周作「沈黙」の舞台でもあるそうです
a0052080_21173945.jpg







海沿いの遠藤周作文学館
a0052080_20193922.jpg






 長崎の街を出て、私たちは対岸に五島列島をのぞむ外海(そとめ)へ向かいました。外海は字の通り
外海の角力灘に面した風と波に洗われるような急斜面の海岸線でした。
 海岸線を車で走ると、黒崎の小高い丘の上にカトリック黒崎教会が見えました。車で急坂を登って行く
と立派なレンガ造りの教会に着きました。1920年にド・ロ神父の指導で作られたそうです。
 教会の敷地に入ると誰も居ませんでした。ですから中を見ることなく、外から見えるステンドグラスを
見て引き返しました。
 黒崎教会のすぐそばには枯松神社があり、そこを目指しました。雨は止みましたが、霧がかかって濡れ
た石の敷かれた道をしばらく登って行くと小さな祠がありました。
 枯松神社にはサン・ジワン神父が祭られていて墓跡もあります。サン・ジワン神父は海の見える丘に葬
られることを遺言したそうです。
 サン・ジワン神父の弟子である日本人伝道師のバスチャンは海岸の洞窟や山の中に隠れながら外海地区
の布教に勤め、最終的には捕まって3年間で78回の拷問に耐えて後に斬首の刑に処せられたそうです。
 黒崎の潜伏キリシタンは今場所に密かに集まり大きな岩の陰で祈り(オラショ)を捧げていたそうです。
 今でも毎年11月3日に信者が集まりサン・ジワン枯松神社祭りが行われるとのことです。
 この場所にも私たち以外は誰も居ませんでした。キリスト教徒ではない自分たちはここでどうして良い
のかわかりませんでしたが、厳粛な気持ちにはなりました。
 枯松神社の曲がりくねった細い坂道を下り、車に戻ってからあらためて黒崎教会を見上げるとひときわ
凛と立っているように見えました。 (likebirds夫)

by likebirds | 2019-06-13 21:48 | 九州旅行 | Comments(2)
九州旅行8日目 長崎 浦上天主堂 出島
 バスでの長崎市内観光を終えて次の目的地に移動する前に、バスの座席が悪くて見られなかった浦上天主堂と出島を見ることにしました。
相変わらずの雨で自分の車からでも撮影するのは大変でしたが、浦上天主堂と出島を見ることができたので良かったです。
(likebirds妻)





写真をクリックして拡大画像をご覧ください






雨の中を車で浦上天主堂を目指しました
a0052080_21154247.jpg







赤レンガの美しい浦上天主堂
a0052080_21003562.jpg







左折して横からも
a0052080_21012111.jpg







茂里町観覧車
a0052080_21182323.jpg







出島表門橋
a0052080_21192170.jpg








出島和蘭商館跡が見えてきました
a0052080_21014675.jpg






和蘭商館跡入り口
a0052080_21015925.jpg






一面に木製の忍び返しが張り巡らされていました
a0052080_21021814.jpg




 定期観光バスの車窓から浦上天主堂を見学する予定でしたが、座席でスカを引いてしまい一瞬も
見ることが出来ませんでした。それではあまりにも悔しいので長崎の街を去る前に自分の車を運転
して見に行きました。写真は助手席のlikebirds妻が撮ったものです。
 浦上は戦国時代末期に有馬晴信が軍事支援の代わりにイエズス会から寄進を要求されてイエズス
会の直轄地にされた場所です。豊臣秀吉の時代になると長崎の多くの部分がイエズス会直轄地にな
りました。
 あやうくルソンやマカオの運命を辿るところだった訳ですね。これを救ったのが悪名高い秀吉の
禁教令だったのは歴史の二面性でしょうか。秀吉による九州征伐が遅れていたら歴史も変わってい
たかもしれませんね。
 イエズス会の直轄地だった訳ですから、この頃は住民の有力者から庶民に至るまで大部分がキリ
スト教に改宗していたのは頷けます。
 禁教令による数々の悲劇がここから始まるわけですが、あまりに暗くてこのブログに不向きなの
で止めておきます。「浦上崩れ」でググってみてください。
 さて明治になり禁教令が解かれ、この浦上に立派な教会が建てられますが原子爆弾の投下でこの
東洋一のロマネスク様式大聖堂は二つの尖塔もろとも吹き飛ばされます。アンジェラスの鐘も一つ
が吹き飛んじゃいます。もう一つは今も時を告げているそうです。
 現在はコンクリート造りのレンガ貼りで美しい姿を見せていました。気のせいか、雨の中をすっ
くと立っているように見えました。
 長崎出島は埋め立てによって今では街の真ん中になっていました。テレビなどで見て知ってい
ましたが前面側には堀があって当時の姿を留めていました。今でいう国際線の空港ロビーのよう
なもので、ここから先は外国ということでしょうね。厳重な塀と堀をみて思いました。(likebirds夫)
 

by likebirds | 2019-06-12 18:00 | 九州旅行 | Comments(2)
九州旅行8日目 長崎 オランダ坂 唐人屋敷跡 新地中華街
 長崎市の天気は、この日までは晴れの予報。
帆船祭りを見てから市内を歩いてみました。
狭い坂が多い街歩きは疲れましたが、異国情緒溢れる素敵な街でした。
(likebirds妻)









大浦東山手居留地跡(ここからオランダ坂)
a0052080_18452890.jpg







石畳が素敵な坂道
a0052080_11130555.jpg







長崎旧居留地私学歴史資料館(現ラッセル記念館)
a0052080_18470855.jpg







奥は階段がありました
a0052080_18485358.jpg







横の路地はどこも狭くて地元外者は車では無理です
a0052080_19051124.jpg






唐人屋敷跡
a0052080_11133292.jpg







湊公園(この向こう側が長崎新地中華街)
a0052080_19230654.jpg







長崎新地中華街入り口
a0052080_11285222.jpg






中華街商店にも修学旅行生が
a0052080_11135323.jpg







顔出し、NGで^^
a0052080_19124125.jpg







歩き疲れて帰りは路面電車でホテルまで
a0052080_19245083.jpg







 話は前後します。
 帆船祭りのあと、時間が余ったのでオランダ坂まで歩いてみました。オランダ坂は聞いていた
通り、小さな細い石畳の坂でした。
 坂を登り切り、左折して唐人屋敷跡や新地中華街をブラつきました。長崎の街はメインの通り以
外は道がとても狭く、ところどころに段差が数段あったりして外部の者の車の運転は無理でした。
 2泊3日の長崎市内観光でしたが、車は駐車場に入れっぱなしでした。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-06-11 20:43 | 九州旅行 | Comments(6)
九州旅行8日目 長崎 孔子廟 大浦天主堂 グラバー園
 コース最後の見学地は孔子廟、大浦天主堂、グラバー園でした。
雨は相変わらずしっかり降っていました。
平日にもかかわらず、多くの観光客でにぎわって、傘を差しての見学は大変でした。
艶やかな色彩の孔子廟は、いきなり中国に来てしまったような気分になりました。
本当に日本の異国でした。
大浦天主堂は、白い建物も美しかったですが、内部の美しさは素晴らしかったです。
グラバー園は明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録されています。
とても広く、歩く歩道を二度も乗り継いで小山を登りました。
残念ながらグラバー氏の邸宅跡は修復中で一部だけしか見ることができませんでした。
(likebirds妻)






孔子廟
a0052080_10310310.jpg







72賢人の像
a0052080_10315585.jpg







チェスのような。。
a0052080_12411297.jpg







詳細は。。忘れました
a0052080_12421938.jpg








バスガイドさんの先導でぞろぞろと大浦天主堂へ。。
a0052080_12373393.jpg







国宝大浦天主堂
a0052080_11145696.jpg







次はすぐそばのグラバー亭です
a0052080_12433809.jpg







あいにくの雨で座れません
a0052080_12451349.jpg







グラバー亭から
a0052080_12443890.jpg







修復中の建物
a0052080_12463606.jpg







グラバーもここから長崎を一望したかも!?
a0052080_12472965.jpg










旧長崎大司教館
a0052080_11153450.jpg






長崎くんちに奉納される竜踊り、青龍
a0052080_11160737.jpg






白龍
a0052080_11162344.jpg





奉納踊りを先導する傘鉾
a0052080_11164229.jpg






見学を終えて坂を下ります
a0052080_11165713.jpg







この向かいの店で琵琶ソフトを食べました
a0052080_12490656.jpg






 
 孔子廟は1647年に儒学者向井元升が興善町に長崎聖堂を創建したのが始まりだそうです。
儒学を学ぶ学校・塾みたいなものでしょうか。
向井元升はお医者様でもあったそうで、弟子には貝原益軒も居ました。貝原益軒は「養生
訓」も書いていますので、向井元升の影響があるかもしれませんね。
 長崎聖堂が明治学制改革によって廃止されると、清国政府と在日華僑人らによって大浦
に孔子廟として造られたそうです。長崎華僑時中小学校も併設されていたとのことです。
華僑の財力は半端ないです。他にも感想を書きたいのですが、あまりにも駆け足見学過ぎ
で「すごい!」以外はあまり覚えていません。
 大浦天主堂は江戸末期の開国に伴って在留外国人のために造られた教会で国宝です。
でも肝心の内部は撮影禁止でご覧いただけません。ググってみてください。
 グラバー亭は江戸末期のスコットランド人で武器商人のグラバーが、討幕派と佐幕派両
方に銃機器・弾薬を売って大儲けした金で長崎に造った大豪邸ですね。あの坂本龍馬の亀
山社中もグラバーから仕入れていたようです。
その後、各藩からの債権回収がうまくいかなくて一度は会社が倒産しちゃいますが、今度
は石炭産業で復活するなど諦めないスコッチ魂が見事です。大邸宅というよりは一山全部
がグラバー亭で、その辺の日本の小城なんか敵わないという感じで呆れるばかりです。
 グラバーさんは石炭産業や製茶工場や船工場建設など明治日本の近代化に貢献した功績
で勲章も貰っています。
 そう言えば「麒麟麦酒」もグラバーが三菱の岩崎弥太郎に勧めて作ったものですね。
 あの苦~いラガービールもグラバーさんのおかげでしょうか? (likebirds夫)

by likebirds | 2019-06-10 15:00 | 九州旅行 | Comments(6)
九州旅行8日目 長崎 長崎歴史文化博物館 眼鏡橋
 雨の平和公園の次に見学したのは、長崎歴史博物館と眼鏡橋です。
歴史文化博物館はとても広くて、ゆっくり見る時間がありませんでしたが、海外交易時代やキリスト教時代の色々な展示物はとても興味深く見事なものでした。
眼鏡橋に着いた時は幸いに雨が止んでくれて、川の水面に写る影が眼鏡の形になるところを見ることができました。
石造りの美しい橋は日本のアーチ橋の草分け、今でも使われてます。
(likebirds妻)



写真をクリックして拡大画像をご覧ください




長崎歴史文化博物館の宝物
a0052080_22130874.jpg






青貝で作られた調度品(ヨーロッパ向け)
a0052080_22371326.jpg







長崎奉行所のミニチュア
a0052080_23310168.jpg







眼鏡橋 
a0052080_22134761.jpg






黙子如定像 眼鏡橋建設指導を行ったと言われている中国の僧侶
a0052080_22374704.jpg







眼鏡橋の反対側です
a0052080_11002430.jpg





 長崎定期観光バスは車窓からのみ見学の場所も多かったです。私たちは誘導されて右の窓側に座りましたが
これが大失敗でした。車窓から見る観光物はほとんどが左側で、右の席からは一瞬も見えないものが多かった
のが残念でした。
 どれもこれも駆け足の見学で少々物足りなさが残りましたが、そのなかで「眼鏡橋」は歩いて観光すること
が出来ました。長崎のような大都会でこんなものが現役で残っているのは、やっぱり長崎だと思いました。
(まったく意味不明!?)(likebirds夫)
 


by likebirds | 2019-06-05 18:31 | 九州旅行 | Comments(10)