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九州旅行12日目 生月島  焼山 塩俵断崖 大バエ灯台
 壱部カトリック教会は門が閉まっていたので、焼山へと向かいました。
ここにも悲しい歴史が語られ、隠れキリシタンの聖地と呼ばれるところです。
草に覆われひっそりした細い道の先に、小さな民家のような教会がありました。
道しるべのような石柱の横に、誰かが植えた美しい花がひときわ目を引きました。
大バエ灯台は海に突き出ていて、東シナ海を一望する美しい景色でしたが、強風で怖いほどでした。
因みに「ハエ」と言うのは、海に突き出した岬状の岩礁を指す、長崎北部の方言だそうです。
(likebirds妻)






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史跡「焼山」への小道
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現在の「焼山」には十字架付きのお堂が建っています
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焼山石碑の横に咲いていた花
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柱状節理の塩俵断崖
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断崖上の駐車場
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大バエ灯台
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サンセットロード沿い ほんの一部のみ耕作された棚田
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 史跡「焼山」は生月島の壱部という場所から小高いこんもりとした林の中へ小道を入って
行くとありました。草むらの中に「史跡焼山」と彫られた石柱がありました。そばには木造
の平屋の教会がありますが、白壁に十字のマークがあるので辛うじてキリスト教関連施設と
分かる程度でした。
 「焼山」とはキリシタン達を切り捨てて穴に放り込んで火を付けたという説と、この場所
に教会があり集まった信者たちを焼き討ちしたという2説があるそうです。さらには付近一
が焼き払われたとする説もあると読みました。
 奥にお堂があり、賽銭箱なども置かれていたことから少しづつカトリックから変遷して土
着化していったことが推測されるそうです。
 私たちが訪ねたときには付近に人影はまったく見えず静まり返った草むらに弱い風が吹く
のみでした。
 生月島をさらに北進すると、景勝地「塩俵断崖」に着きました。溶岩台地の上に玄武岩が
重なり縦に亀裂が入り幾何学模様を見せているそうです。この奇岩と青い海の風景は本当に
絶景と言う言葉がふさわしく気持ちの良いものでした。
 その先の大バエ灯台まで北進して、サンセットロードを南下しました。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-07-13 17:09 | 九州旅行 | Comments(2)
九州旅行12日目 生月島 ガスパル様 だんじく様 壱部教会
 生月島の潜伏キリシタン関連の史跡は、本当に惨い物語ばかりで胸が痛みました。
激しい迫害は筆舌に尽くしがたいほどで、なぜそこまでキリスト教を信じぬいたのか?
なぜそこまで、キリスト教信者を迫害しなければならなかったのか?
重すぎる歴史を理解するのは本当に難しいです。
(likebirds妻)








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生月島館浦漁港
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黒瀬の辻 殉教地「ガスパル様」
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世界遺産関連「だんじく様」への小道
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「だんじく様」は断崖の下にありました
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絶壁下の「だんじく様」の入り口
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三人を祀る祠、今でも命日の1月16日には弔いが行われています
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扉の閉められていた壱部カトリック教会
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 「黒瀬の辻」は江戸初期にはクロスの辻と呼ばれていた場所です。そこに殉教者ガスパル西こと西玄可の
十字架の碑がありました。その横には小さな石積みの墓のようなものもあり、それがガスパル西の墓と信じ
れて大切に守られてきたそうです。
 西玄可はもともと生月の総奉行でしたが、豊臣秀吉の禁教令後もキリスト教を棄教せずむしろ生月の信者
の世話役になったそうです。捕えられてからイエスキリストと同じに磔刑を望みましたが、聞き入れられず
斬首されました。葬られたのは西の希望通り、信者の墓のある黒瀬(クロス)の辻でした。西玄可の家族
ある妻・娘・息子たちはまるで禁教下の信徒の受難そのものでここでは書けません。前回にUPした聖トマ
西は西玄可(ガスパル西)の次男です。
 西玄可の石積みの墓には供え物が置いてありました。写真を撮ろうと思いましたが、何故か憚られて撮り
ませんでした。
 「だんじく様」は火曜サスペンス劇場に出て来そうな海沿いの高い断崖の上から急斜面で転がり落ちそう
な小道を長々と下りてやっと海に出た波打ち際に竹笹に隠れるようにありました。夫婦と子供3人で海岸の
暖竹に潜んでいたところ、子供が海辺で遊んでしまい、追手の船から見つかり捕えられて3人とも処刑されて
この場所に葬られここが聖地となったそうです。船がこの岸に着岸しようとすると海が荒れるそうです。
 どの話もあまりに悲惨で、なぜ棄教しないのかというのが正直な疑問でした。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-07-10 22:26 | 九州旅行 | Comments(4)
九州旅行12日目 生月島 生月島大橋から山田カトリック教会
 平戸の春日集落の棚田を見てから、生月島(いきつきしま)へ渡りました。
生月島は平戸島よりさらに小さな島で、潜伏キリシタン関連の史跡も沢山ありました。
一つ一つの史跡に深く重い史実が語られていて、その歴史にとても興味を惹かれました。
(likebirds妻)






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生月島大橋を渡って生月島へ
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田植えの終わった水田
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生月観音
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山田カトリック教会
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教会正面から
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教会の横には聖トマス西列聖記念碑が
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 平成31年4月27日、平戸島から生月島大橋を通って生月島へ渡りました。 橋を渡って直進すると巨大な観音像が
見えました。あまりに目立つので予定にはありませんでしたが立ち寄りました。
 その先の教会が「山田カトリック教会」です。潜伏キリシタンの島と言われた生月島では多くの住民がカトリックに
復帰せずに従来の隠れキリシタンの信仰を続ける中、佐世保の黒島からカトリックへ復帰した信徒がこの地に訪れて説得
をしたそうです。そのことによりカトリックに復帰した数世帯の人々の子孫がこの教会の信徒だそうです。
 山田教会のすぐ横には長崎で殉教した「長崎16聖人」の一人聖トマス西(西六左衛門)の碑もありました。
 (likebirds夫)


by likebirds | 2019-07-08 20:50 | 九州旅行 | Comments(2)
九州旅行12日目 平戸島 川内峠 中江ノ島 山野カトリック教会 春日の棚田
 平戸に入った次の日は、見事な晴天に恵まれ、美しい眺望を堪能することが出来ました。
川内峠はツツジが満開で鮮やかな景色が広がっていました。
春日集落の棚田は、パズルのような田んぼが、だんだんに広がって、芸術作品を見ているようでした。
この地をとても大切に守っていることが、手入れされた田んぼや畦道の美しさを見て伝わってきました。
(likebirds妻) 






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川内峠
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川内峠からの眺望
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賑やかに囀っていたホオジロ
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川内峠を西進し、生月島大橋方面へ 小さな島が見えてきます
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潜伏キリシタンの聖地 中江ノ島
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山野カトリック教会
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春日集落の棚田
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棚田はちょうど田植えの終わった時期でした
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棚田は安満岳の麓から海辺までずーっと続いていました
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 平戸島の川内峠はテレ東「出川の充電させてもらえませんか?」で見た峠です。番組で見たときには
あいにくの雨でしたが、私たちが通ったときには良いお天気で島の両側の海を見ることが出来ました。
道路の両側は草原になっていて爽やかな風が吹き抜け、車を下りてしばらく眺望を楽しみました。
 川内峠をさらに西進すると生月島大橋ですが、生月島へ渡る前に山野カトリック教会へ寄ることにし
ました。この地は厳しい禁教下の文政年間に外海地区のキリシタン達が一旦は五島に逃れたものの、五島
に安住することは出来ず、さらに平戸島へ逃げ渡って住み着いた場所なのだそうです。ここの住民全てが
キリスト教徒と聞きましたが、私たちが行った時には周囲に誰も居ませんでした。ちなみにこの山野集落
に住む人たちほとんどが山野姓だそうです。
 山の集落をさらに西進すると棚田で有名な春日集落です。春日の棚田は安満岳の麓から海まで伸びる広大
な棚田です。安満岳は平戸の神・仏・キリシタンの三つの聖地です。
 フランシスコ・ザビエル神父がポルトガル船寄港地でもあった平戸で布教したこともあり、平戸にはキリ
シタンが増えました。秀吉・家康・家光の厳しい禁教令下で多くの住民が棄教するなか、平戸の西岸や生月
島は当時は僻地だったこともあり、密かに信仰を続ける人たちも居たそうです。
 春日集落では表向きは棄教して神仏を信仰しながら、組織的にキリスト教信仰を続けたとのことです。さ
らに明治にキリスト教が解禁になってもカトリックに復帰せずに従来の信仰を続けたそうです。ですから
この集落には教会がありません。
 春日集落の巨大な棚田を見ると、組織的に信仰を続けたことや、信仰解禁後も全員が従来の隠れキリシタン
を続けたことなど、村民の団結力を感じざるを得ませんでした。
 訪ねたのが丁度田植えの農繁期で棚田へ車の乗り入れが出来ませんでしたので、歩いて畦道を登りました。
 (likebirds夫)


 

by likebirds | 2019-07-06 18:42 | 九州旅行 | Comments(2)
九州旅行 11日目 平戸 三浦按針の墓 ザビエル記念碑 日本最古の茶畑
 平戸島はキリスト教関連遺産が沢山ありましたが、場所を見つけるのが大変でした。
見過ごしそうな横道の先だったり、茂った木立の向こうだったり、心配になるほど細い道の先だったり・・・
やっと見つけたときは本当に「ほっ」としました。
(likebirds妻)





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イギリス人旗本「三浦按針の墓」
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按針の墓からしばらく下ると「平戸ザビエル記念碑」が
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平戸ザビエル記念教会
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ザビエル記念教会の隣は光明寺。教会と寺院両方が見える貴重な景色です
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フランシスコザビエル像
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平戸殉教者顕彰慰霊の碑
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こざっぱりしたカトリック古江教会
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古江教会の模様ガラス
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日本最初の茶畑 「冨春園」
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看板には驚きの内容が書かれていました
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 三浦按針の墓が平戸にあることを今回の旅行で初めて知りました。三浦按針は徳川家康の外交顧問として
旗本の地位を与えられ、江戸に住み江戸で亡くなったものと思っていました。
 大坂冬の陣で大阪城本丸に命中させて淀君の戦意を一気に削いだカルバリン砲も三浦按針を仲介させて
イギリスから手に入れたものですよね。
 実際には三浦按針は故郷のイギリスへ帰りたくなったようです。家康の許可を得て息子に家督を譲って
イギリスへ向かう船に乗ったそうです。ところがその船上で船長と仲たがいをして平戸で船を下りちゃった
そうなんです。これも2度ビックリでした。その内、家康もなくなり、秀忠の時代になり不遇な晩年となった
とのことです。
 今回の九州旅行ではあまりにも道が狭くて車を進めるべきか迷うことがとても多かったです。「カトリック
古江教会」もそのひとつでした。古江湾先端近くの小富士山の麓にあって、今でこそ軽自動車がやっと通れる
ほどの山道が続いていますが、江戸時代や明治時代は僻地の中の僻地で陸の孤島だったのではないでしょうか。
それだからこそ潜伏キリシタンの信仰が守られたのかもしれません。現在、この巡回教会を守っているのは数
世帯とのことです。そう思ってもう一度この教会を見渡すと周囲の整然感は感動モノでした。
 「冨春園」という日本最初の茶畑があることも今回の旅行で知りました。車で走っていたら書付があったの
で止まってみました。ともすれば見逃してしまいそうなとても小さな茶畑が守られてきたことに驚きました。
 (likebirds夫)




by likebirds | 2019-07-04 20:55 | 九州旅行 | Comments(0)
九州旅行 11日目 平戸 オランダ商館通り 上神崎教会
豪雨に見舞われている九州地方の皆様にお見舞い申し上げます

 平戸中心街は細い道の両側に、レトロな街並みが続いて、とても素敵なところでした。
街を抜けていくと白いオランダ商館が海に向かって建っていました。
平戸は戦国から江戸初期にかけて外国との交易で栄え、1641年にオランダ商館が長崎の出島に移転されるまでの100年間は
日本中で最も国際都市であったと言われた街です。
中心が長崎、佐世保に移ったことで戦災からは無縁の街となり、往時の雰囲気を今に伝えています。
(likebirds妻)





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平戸の中心街付近のT字路
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小江戸風の古い町並みが素敵でした
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長崎出島へ移る前にはオランダ商館(復元)は平戸にありました
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ドアの補修工事中でした
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オランダ商館横のオランダ井戸
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草生した井戸
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本丸の位置で平戸城は海側に向かって建っているのがわかります
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カトリック上神埼教会
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上神埼教会正面
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 しばらくお休みしましたが、九州の旅を再開させていただきます。
 平戸の地が極東貿易の最重要拠点であったことは、平戸大橋を渡りオランダ商館通りを車で走ってみると
説明抜きに実感できます。イギリス商館跡やポルトガル船入港地碑、幸い橋(オランダ橋)オランダふ頭
などを次々と目にすることが出来ました。復元されたオランダ商館を見ても江戸初期までの賑わいを感じる
ことが出来ました。
 上神崎教会は明治初期に黒島から小舟でキリスト教信徒6家族が上陸したのが始まりなのだそうです。その
後、五島などからも続々と信徒が移住してきて、旧松浦藩放牧地に上神崎教会が建てられたとのことです。(likebirds夫)

by likebirds | 2019-07-03 19:07 | 九州旅行 | Comments(2)